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倉庫@mixi日記

mixi時代に書いていた日記の倉庫です

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ピックアップアーティスト その3~YUIさん~


こんばんは。カピオンです。

今日はアーティストを語ろうと思います。
その人とは…!

写真

YUIさんです。

以前日記にも書きましたが彼女にはまりだしたのがかなり遅くて今年の3月です。
その後、アルバム等を借りまくってアコースティックバージョン以外はすべて持っています。
個人的には彼女の曲のだいたいの構造はわかった気がします。
詞は基本的に抽象的なものではなく(もちろんそんな感じのがテーマになってる曲もありますが)、ほとんどが情景を思い浮かべて、そこでの気持ちを歌った曲です。これも以前に書きましたが「女版・尾崎豊」と俺は思っています。

現在の若い人にとっては胡坐をかいてアコースティックギターを演奏して引き語る姿がおなじみだと思います。

俺も彼女自身はデビュー当時から知ってたんですが、そこまで興味がなかったんですね、リリース当時は。
きっかけというのは、サークルの二次会でケータイのCMソングにもなった「CHE.R.RY」を同期の女の子が歌って改めて「この曲いいなぁ~」と思ったことです。確か、その3日後ぐらいにこの曲が収録されているアルバムを借りに行った気がします。そこからはかなりドップリとはまってます。



それでは、YUIさんの略歴的なものを…。
YUIさんは福岡県出身で、幼いころから歌手になりたかったらしく中3の時にはノートに詩を書き留めていたそうです。
この後高校に進学をするんですが、アルバイトのし過ぎ(?)で倒れ入院してしまいます。退院し高校を中退した後、「音楽塾ヴォイス」にて音楽を学びます。ギターを学んだのもおそらくこの時だと思います。
その後、地元でストリートライブをするようになります。
2004年3月にソニーミュージックのオーディションを受け、見事合格しデビューが決まります。この時のオーディションでYUIさんは椅子が用意されていたのにもかかわらず、胡坐をかいて歌ったそうです。

同年秋にギターと金魚と亀を連れて上京。
12月に九州限定のインディーズシングルのリリースを経て、2005年2月にシングル「feel my soul」でデビューを果たします。この曲がいきなり月9ドラマ「不機嫌なジーン」(竹内結子さん主演)の主題歌に起用されたことで当時は話題になり、いきなり10万枚を超える売り上げを見せます。
しかし、その後のシングル「Tomorrow's way」は最高位15位と振るいません。ええ曲なんですけどねぇ~。11月にリリースされたシングル「LIFE」は人気アニメ「BLEACH」のエンディングテーマだったこともあり最高位9位とスマッシュヒットを記録します。この曲は非常に共感できる歌詞が多く、それをテンポよく歌っているのでめっちゃ好きです!
翌年1月にシングル「TOKYO」をアルバムの先行発売としてリリースされますが、売り上げとしては振るいません。この曲はYUIさんが上京する時の心情を歌った曲でストリートで歌っているとけっこう画になるような感じの曲です。
翌2月、彼女にとって初のアルバム「FROM ME TO YOU」をリリース。初登場4位を記録し、その後に出たシングルのヒットによってこのアルバムもロングヒットを記録します。

そして、ついにYUIさんの人気が決定的になる時が訪れます。
それは自身初の映画である「タイヨウのうた」です。この映画で主役のぁ雨音薫役を演じて大ブレイクを果たします。話によるとこの映画の興業収入は中規模映画ながら10億円を突破し、YUIさん自身もこの年の日本アカデミー賞の新人賞を受賞します。
音楽の方でもこの映画の主題歌だった「Good-bye days」が今までに出たシングルの売り上げを上回り、20万枚を超える大ヒットとなり一気に人気が上がります。本人いわく「かっこよくない優しさ」をテーマにした曲です。非常に名曲です。
9月にはこの曲のアンサーソングとして「I remenber you」をリリースし、自身最高位の2位を記録します。
翌年1月、シングル「Rolling star」をリリース。最高位は4位だったものの20万枚に迫る売り上げを見せた。この曲は今までのアコースティック調とは打って変わってロック調の曲となっている。
3月には人気を決定付ける曲がアルバムの先行シングルとしてリリースされます。それが「CHE.R.RY」です。まず、この曲は詞が最高です。恋をさくらんぼに例える辺りセンスありますね。今回はメロディーも最強です。で、歌いやすいので好きですね。
翌月、2枚目のアルバム「CAN'T BUY MY LOVE」がリリース。発売されるや否や瞬く間に売れオリコンチャートで2週連続1位を記録します。累計では60万枚以上売り上げ、この年の年間アルバムチャートでも9位にランクインされるほどの大ヒットとなりました。
その後も「My Generation」、「LOVE&TRUTH」、「Namidairo」をリリースし、いずれもヒットを記録します。
この3曲が収録されたアルバム「I LOVED YESTERDAY」も50万枚ほどの売上で大ヒットをします。彼女いわく自信作だったようです。
さらに6月には夏にピッタリな曲「SUMMER SONG」をリリース。この曲も1位を獲得しヒットします。
11月には全シングルのカップリングを収録したアルバム「MY SHORT STORIES」をリリース。アルバムでは3作連続で1位を獲得し、女性ソロアーティストでは松田聖子さん以来24年半ぶりにカップリング集で1位を獲得しました。
その後、一時活動を休止し、充電をしていたが、今年6月に1年ぶりのシングル「again」をリリース予定である。
因みに俺は予約で買う予定です。


という感じですが、文章下手で申し訳ないですm(__)m

でも、また書きます。
それでは~。


'09/5/21
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曲について語る その38~「私はピアノ」高田みづえ~


どうも、「カピオン@カルピン」改め「カピオン@チチヤス」です。 今後もカピオンと呼んで下さい。 では、本題。 二日連続で曲について語ります!! 今日はこの曲です! 高田みづえさんの「私はピアノ」です。 ベスト200では48位にランクインされています。 この曲は元々はこの人の曲ではないんです! ご存知の方もいるかと思いますが、もとはサザンオールスターズの曲で、「タイニイ・バブルス」というアルバムの収録曲の1曲でした。 それをみづえさんがカバーし50万枚も売り上げる大ヒットとなりました。オリコンでも最高位5位と健闘し、4枚目の「花しぐれ」以来約2年半ぶりのトップ10入りを果たしました。 この曲の何がいいかというと、まずはみづえさんの声ですね。 凄く透明感があって好きですね。あと、癖がないところもいいところだと思います。 さらに、曲についてはサザンの桑田さんが作ってますのでこれも文句のつけどころがないです。 非常に流れの良い作品です。 ここで、高田みづえさんのことについて話しますと、1977年に「硝子坂」でデビューしこの曲がいきなり30万枚を超えるヒットとなります。因みに現在でもバラエティ等によく出てる榊原郁恵さんと先日亡くなられてしまった清水由貴子さんとは同期で3人を総称して「フレッシュ三人娘」と呼ばれていたそうです。それと、昨日出てきた福永恵規さんとは一瞬だけですが同じ事務所でした。 デビュー曲から4枚目まではトップ10入りするヒットを果たすのですが、その後がどうも今一つでした。途中に最高位25位ながらも20万枚以上売り上げるシングルがあったのですが、再びみづえさんがブレイクするのは先ほどから紹介している「私はピアノ」です。 先ほども書いたように50万枚もの売り上げをみせ、みづえさんの曲では最大の売り上げとなります。 その後はバラエティ番組に出演しながら音楽活動もしていました。 元祖バラドルといった感じでしょうか。 音楽では1983年に「そんなヒロシに騙されて」をリリースし30万枚の大ヒットを果たします。これもサザンのカバー曲です(アルバム「綺麗」収録曲)。 音楽もバラエティも順風満帆だったみづえさんですが、1985年に芸能界を引退してしまいます。 理由は結婚です。この年の6月(?)に当時人気力士だった元大関若嶋津さんと婚約を発表し、11月にTV生中継で結婚披露宴をされました。 現在は何をされているかというと、元大関・若嶋津六夫さんが師匠をしている「松ヶ根部屋」という相撲部屋のおかみさんをされています。 アイドルからおかみさんに転身したわけですから凄いと思います。 で、ちゃんとやってますし。どっかの部屋のおかみさんとは大違いです(笑) 松ヶ根部屋のHPは↓からです。もちろん、みづえさんも紹介されています。 http://www.tom-tour.co.jp/matsugane/ おかみさんとして奮闘しておられる姿がお目にかかれると思います。 是非、みづえさんがおかみさんをしている松ヶ根部屋を応援してやって下さい。 では、今日はこの辺で。

曲について語る その37~「風のInvitation」福永恵規~


こんばんは、カピオンです。

今日は1ヶ月半ぶりに曲について語ろうと思います。
もちろん、全体公開です。

今日語るのはこちらです!!
写真

福永恵規(さとみ)さんの「風のInvitation」です。
ベスト200では17位にランクインしています。

この曲というよりもまず、この人を知らない人が多いと思います。
説明をしますと、彼女は1980年代中頃に大ブレイクした「おニャン子クラブ」のメンバーです。
会員番号というものがあり、彼女は11番でした。因みにおニャン子クラブ結成当初からのメンバーです。
どうも事務所側(プロデューサー)は最初の方からけっこう推していたようで、早くソロデビューさせたかったみたいですが、人気があまり伸びず
強(新田恵利さん、国生さゆりさん、河合その子さん)はおろか、吉沢秋絵さんや、おニャン子の色物の集まりのユニットである「ニャンギラス」にまで先を越されることになります。
1986年5月に今日紹介する「風のInvitation」でデビューするんですが、この年の9月におニャン子を卒業してしまいます。
その後もシングルを合計4枚リリースし、ソロ活動をしながらもドラマにも出演するなど結構マルチな活動をしてました。
それに、おニャン子の番組にもちょくちょく顔を出していて、解散コンサートにも出演しました。

その後、ソロ活動しながらも当時遠い国とされていた韓国のガイドブックを出したりもするんですが、致命的なことが彼女を襲います。
それは体調不良です。
しかも、入院までしてしまい、1988年11月に引退イベントを開催したのを最後に引退してしまいました。
「もし、今芸能界に残ってたらどう展開してたんだろう?」と思う人の一人です。
現在は結婚し2児の母だそうです。


さて、この曲ですが非常にさわやかな曲です。
おニャン子って基本的にアイドルですが、どっちかといえばアイドルらしからぬ曲だと俺は思っております。
最初にベスト200を作った時はこの曲は3位でした。
それぐらいアイドルの中では非常に良曲だと思います。

一見聴いてみる価値はあると思います。

では、この辺で。

'09/5/19

今日は…


午後から新しい老人養護施設に行って参りました。
場所は大学のある京都府なんですが同じ京都にもかかわらずバスで1時間かかります。

こういう名前の施設です。

写真
「ビハーラ本願寺」という施設です。

たぶん、「ビハーラってなんやねん!」と思われた方がいると思うので簡単に説明します。

「ホスピス」という言葉はご存知でしょうか?
これはいわゆる終末期医療のことを指すのですが、これはキリスト教の思想に基づいてケアをします。
このキリスト教の部分を仏教に変えて頂けると「ビハーラ」の大雑把な意味になります。


それはさておき、建物はどんな感じかというと…、
写真
パンフレットですが、平屋造りになっており受付も利用者さんが入居する部屋も同じ平面にあります。

中はどんな感じかというと…、

写真
写真

けっこうきれいで広いです。

今後はここでも活動をする方針だそうですが、非常に交通の便が良くないです…。
電車も30分に1本とか…。

自分たちがやろうとしていることは十分に行えるところですけどね。

うちのサークルの今後の展開が楽しみです。


それでは、この辺で。


'09/5/16

ピックアップアーティスト その2~河合奈保子 その2~


こんばんは。カピオンです。

今日はピックアップアーティストの第2回目をしようと思います。

今日語るのは…、
写真

河合奈保子さんです!!
今年の2月ぐらいに一度語っているのでその続きを語ろうと思います。
1回目を見ていない方は↓から…。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1084084978&owner_id=17278759

前回は23枚目の「THROUGH THE WINDOW~月に降る雪~」まで語りましたのでその後から行きます。

前年から新境地を探すためにいろんな曲に挑戦していた奈保子さんはあえて原点帰りをします。その曲が1986年1月にリリースされた「涙のハリウッド」です。前回のにも書いたようにこの頃は他のアイドルに押され勢いは以前より落ちていて当時はこの曲はそこまで評価されなかったが、後にファンから高い評価を受けた曲の一つでもあります。
次のシングル「刹那の夏」ではアイドル全盛期の頃に曲提供した筒見京平さんが作曲されています。
そして、ついに自分の新境地を見つけます。その年の10月に「スカーレット」というアルバムがリリースされるんですが、このアルバムは全部奈保子さん作曲で構成されています。同じ頃に発売されたシングル「ハーフムーン・セレナーデ」がスマッシュヒットします。奈保子さんには珍しく5分半という大作ですが、今までにない雰囲気を醸し出してました。
さらに、86年の紅白歌合戦ではクリスタルのグランドピアノを自分で演奏しながら「ハーフムーン・セレナーデ」を歌唱されたそうです。
この後しばらくは彼女の作曲のシングルが続きます。

翌87年にリリースされた「十六夜物語」は「和」のイメージを見事に表現したメロディとなっており、月がテーマとなっているようである。この曲まで20曲連続でトップ10入りを果たした。
翌88年の最初のシングル「悲しい人」はバラードであるが、「ハーフムーン・セレナーデ」のようなバラードでなくスローバラード調の曲で、彼氏と別れて次の恋を探しているが変に賭けのような恋ではなく、安全な恋をしようとしている女性を描いている。
次のシングル「Harbour Light Memories」はまるでアイドル時代を彷彿されるかのような曲になっている。もちろん奈保子さんの作曲である。で、この曲を作詞したのは誰かというと公文健さんという方であるが、これはペンネームで本名は小林公平さんである。「誰やねん!?」って感じですが、彼は宝塚歌劇に出てるタカラジェンヌを養成する宝塚音楽学校の校長であり、関西の五大私鉄の一つ阪急電車の名誉顧問であるすげぇ~人です。因みにこの曲ですが、2006年に閉園した「神戸ポートピアランド」のCM曲として使われ、閉園まで園内のBGMとして使われていたそうである。宝塚歌劇の創始者である小林一三さんの没後50年を祝うスペシャル公演でタカラジェンヌによりカバーされてもいる。

翌89年のシングル「悲しみのアニバァサリー」がリリースされた頃、ミュージカルにも挑戦します。音楽はもちろん奈保子さん担当です。さらに化就業から女優業に力を入れ出すのもこの頃で、カップリングの「あなたへ急ぐ」も自身が主演を務めるドラマの主題歌であった。
その後、90年に出された「美・来」、「眠る、眠る、眠る」の両曲には番組のタイアップがついた。おそらく「さすらい刑事」に出だすのはこのころでしょうか。
1年半ぶりにリリースされたシングル「Golden sunshine day」は後期の奈保子さんにしては珍しくはじけた感じの曲です。バックで歌っている男の人の声がけっこう面白い曲でもあります。ただ、デビュー以来初めて100位圏外になってしまいます。
翌93年にリリースされたシングル「エンゲージ」はほとんど知られていませんが、名曲だと俺は思っています。女性側から見た結婚に対する価値観を描いた曲です。もしかしたらそろそろだという風に考えていたのでしょうか。
翌94年にリリースされた現時点では最後のシングル「夢の跡から」では4年ぶりにオリコントップ100にランクインされます。
曲の中身ですが、非常に難しいです。俺も未だにどういう風に理解したらいいかわからないという感じです。


その後、1996年にメイクアップアーティストの金原さんと入籍し、よく97年に長男を出産したのを契機に芸能活動を休業します。
現在は一男一女の母で、育児に専念している。オーストラリアに住んでいるという話もよく聞きます。
そんな中ファンを驚かせたのは2006年に発売された奈保子さんのピアノ作品集である。とても評判であったようである。
それ以降情報がなかなかない日々が続いていたが、昨年12月に歌手の竹内まりやさんのブログになんと現在の奈保子さんのお姿が!!!
これはマジでビックリしました。休業される直前の映像を見たことがあるんですが、その時と全く変わっていないのが素晴らしいです。
そのお姿は↓から…。
http://mblog.excite.co.jp/user/mariya30th/entry/detail/?id=9109988

これからも奈保子さんをじっくり研究していきます。自分の中では奈保子さんに出会えたのは本当に大きかったですね。それぐらい凄い人です。

ではでは、失礼しますm(__)m


'09/5/14

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