こんにちは、カピオンです。
今日はアーティストについて語ろうと思います。
今日語るのはこの方です。

本田美奈子さんです。
80年代に活躍していたアイドル(本人は否定)で、当時としては異例だった「へそ出しルック」をした人です。
その後はミュージカルやクラシックにも挑戦されました。
んな彼女を初めて知ったのはABCで放送されているスペシャル番組「史上最強のメガヒット・カラオケBEST100・完璧に歌って1000万円」です。それに7,8年ぐらい前に彼女が出演していて、しかもあのヒット曲である「1986年のマリリン」をカラオケで歌ってたんですよ。もちろん、賞金は持って帰ったようですけど。その時に思い切り惚れてしまいまして、好きになりましたね。
その後、「速報!歌の大辞テン」で何度か紹介したのを見たぐらいかな、生前見たのは。
では、彼女がどのような人生を送ったのか。
本田美奈子.(本名:工藤美奈子)さんは1967年7月31日、東京都葛飾区に生まれ、埼玉県朝霞市で育った。小さいころから彼女は本当に歌うことが好きだったそうだ。小学生の頃に森昌子さんの「おかあさん」を歌っていたそうだ。1983年に当時「少女隊」のメンバーを探してた「ボンド」という事務所にスカウトされ芸能界入りを果たします。ただ、最終的には少女隊には入らずソロで活動するんですけど。
で、1985年4月に「殺意のバカンス」でデビューします。売り上げ自体はそこまででもなかったんですが、4枚目の「Temptation(誘惑)」で初めてヒットし、新人賞を量産しました。
その勢いで皆さんがよくご存知の「1986年のマリリン」も大ヒットします。彼女の最大のヒット曲でもあります。この時にやった当時は全くなかったへそ出しルックをします。今のアイドルは当たり前のようにやってますけど、初めはこの人ですよ。
このときのがあって嫌いな方は実在しますね。俺の親もそうだし。あと、この人のワガママさと。本当にすごかったんですよ、この人のワガママぶりは。
デビューのときからずっとですけど、彼女は奇抜な衣装が多かったように思いますね。
当時同じアイドルとして活動していた菊池桃子さんとは本当に正反対の存在。菊池さんは超清純派アイドル、本田さんは超改革派アイドルといった感じでしょうか。
翌年、マリリンについで有名である「Oneway Generation」をリリースし、これもまた大ヒットします。売り上げこそマリリンに及ばなかったが、年間シングルチャートではマリリンの32位を上回る26位にランクインしました。俺もすでに聞きましたが、マジで名曲です!!なんか元気がもらえる曲ですね。
この後、バンドも組んで活動するんですが、さっきの「Oneway Generation」を境になぜかほとんど売れなくなります。88年なんて1万枚も行かないシングルが続出しました。
そんな彼女に転機が訪れます。それはミュージカル「ミス・サイゴン」のオーディションを受け、1万5千人というものすごい競争倍率からヒロインであるキム役に見事に選ばれました。そして、勝ち取って2年後の1992年5月に「ミス・サイゴン」の初演が始まります。以来、1年半のロングランをこなし見事その年(1993年)のゴールデン・アロー賞新人賞(演劇部門)を受賞しました。彼女のこの受賞は種類は違いますが過去に2回あります。
その後も、「レ・ミゼラブル」など数々のミュージカルに主演で出て自らの居場所を見つけたようでした。
さらに、彼女はその音域に広い歌唱力を活かしてクラシックも歌うようになります。「アヴェ・マリア」、「アメイジング・グレイス」はかなり知られています。
と、このように1人の歌手としていろいろと改革というかいろんなことに挑戦した彼女ですが、デビュー20周年にあたる2005年の1月、彼女は白血病にかかっていると診断され入院。早期発見だったためメディアでは早く退院できるといわれていたが、検査の結果、急性骨髄性白血病のなかでも2%しかいない、きわめて予後の悪いタイプだったそうです。一時は退院回復するまでによくなったが、9月に再び入院、11月3日に容態が急変し、11月6日家族が見守る中永遠の眠りにつきました。
ちなみに、このニュースを知ったのはその日の夜です。
その時はお父さんとちょっと離れた(でも、俺でも電車でいける距離)クリニックに行って、そこが凄く混んでいて帰ってきたのが夜の11時前でした。その時に、「News ZERO」の「この後すぐ」とかいうので、たまたま「本田美奈子.さん 死去」と出てて、俺は最初は「見間違いや」と思ったんですが、風呂から上がってもう1回見てみると本当でした。本当に信じれなかったですね。まだ38歳ですよ。まだまだこれからという時期ですもん。マジで「最近テレビに出てないなぁ~」と思っていた矢先の出来事でした。
それから、しばらく落ち込んでいたのを覚えています。
彼女の逝去からもうすぐ2年。
あの歌姫よ、もう1度カムバック!!
本当に彼女は「Oneway Generation」を貫き通したように思います。
改めてご冥福をお祈りします。
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※この日記は俺のブログ時代に書いた記事を参考にして書かせて頂きました。
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ではでは。
'09/5/27
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