どうも、カピオンです。
今日は久々にアーティストについて語ります。
その方とはこの方です!!
国生さゆりさんです。
現在でも女優やタレントとして活躍しているので彼女のことはおそらくご存知かと思います。
今でこそ「ロンドンハーツ」に代表されるような感じになっとりますが(いろいろ経緯があるわけですが)、昔はおニャン子の人気メンバーでありました。今回はその話を中心にして行こうかなと思っています。
まず、国生さんはおニャン子の前にソニーの運動会に「運動会要員」として出ています。
ここで当時人気アイドルだった石川秀美さんを徒競走(?)で追い抜いたというエピソードもあるそうです。
その後、おニャン子に会員番号8番として結成メンバーとして「夕やけニャンニャン」の番組スタートとともにデビューします。
後々に大ヒットシングル「セーラー服を脱がさないで」が出るわけですが、この頃はまだ主要メンバーとしての扱いはありませんでした。書くシングル曲ごとにセンターメンバーが4~5人ぐらい必ずいるのですが国生さんはそれに選ばれることは(再結成を除いて)ありませんでした。
でも、けっこう人気はあったようです。
それが表立ってくるのは皆さんもよくご存知の曲「バレンタイン・キッス」です。
この曲に限っては「withおニャン子クラブ」としてリリースされますが、これが30万枚を越える大ヒットを記録して1986年の年間チャート14位にランクインしました。ただ、意外にも最高位は2位だったりします。
未だにバレンタインデーの時期には必ず聴きます。近年は本人が歌っていることも増えてきました。
そこから比較的が上がり、超主要メンバーとなっていきます。
ただ、体育会系出身だからだと思いますが、けっこうキツい感じ(体育会系の方はわかっていただけるかと思います)だったらしく、おニャン子の後輩たちはけっこう苦手だったというのはあったそうです。
それと、これは有名な話ですが、同じ時おニャン子の新田恵利さんとはそんなに仲はよろしくなかったようで、派閥になったぐらいです。
本人曰く「私はプロ意識のない人は嫌い」だったそうで。
その後もソロとして「夏を待てない」、「ノーブルレッドの瞬間」、「あの夏のバイク」などのヒット曲をリリースします。
1987年4月、おニャン子を卒業して本格的にソロ活動を始めます。
ただ、音楽活動はほとんどなくなってしまうのですが…。
その後は、数々のドラマに出たり、バラエティ番組にも多数出演してます。昨日は「ダウンタウンDX」にも出演されてました。
で、以前にも紹介した2002年の再結成に久しぶりに参加(1996年の「復活夕やけニャンニャン」以来)し、シングル「ショーミキゲン」で初めてメインボーカルを務めました。
けっこう楽しんでいたように見受けられました。
時間がないのでこの辺で失礼します。
'09/6/19
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