忍者ブログ

倉庫@mixi日記

mixi時代に書いていた日記の倉庫です

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

ピックアップアーティスト その6~小泉今日子さん~

どうも、カピオンです。

今日は6月以来にあるアーティストについて語ろうかと思います。

今回はこの方について語ります!!

写真
キョンキョンの愛称でおなじみの小泉今日子さんです。

今は立派な女優さんとしての姿が非常に有名です。
例えば、最近では映画「グーグーだって猫である」、「トウキョウソナタ」で主演を演じるなど本当に輝かしいばかりだと思います。

で、キョンキョンは今年で芸能活動28年目になります。
というわけで、それまでの軌跡を前半部分を中心に(というかほぼ全部こっちに入りますねあせあせ)紹介しようかと思っています。


キョンキョンは神奈川県厚木市に生まれ、1981年に出場した「スター誕生!」で見事に合格。
翌82年3月21日に「私の16才」でデビュー。
同じ日に堀ちえみさん、三田寛子さんもデビューしています。
俗に「花の82年組」と言われる人の中の一人ですが、すぐに売れるのじゃなくて少し時間があって売れる人が多かったですね(堀ちえみさん、石川秀美さん、速見優さんはその典型例です)。
そしてキョンキョンもその例外ではない気がします。
実を言うと「私の16才」はもともとは森まどかさんの「ねぇ・ねぇ・ねぇ」のカバー曲で、いわゆる使い回しだったわけです。
それでも、大体10万枚近くは売り上げました(オリコン最高位22位)。
次のシングル「素敵なラブリーボーイ」も林寛子さんのカバーで初めて20位以内(最高位19位)に入ったものの、売り上げは12万枚強ぐらいでした。
その次のシングル「ひとり街角」はキョンキョンにとっては初のオリジナルシングルでした。売り上げは15万枚を超え、「ザ・ベストテン」では10位にランクインしました(オリコンでは最高位13位)。
オリコンで初のトップ10を記録するのは次の「春風の誘惑」(最高位10位)ですが、実は売り上げ的には「ひとり街角」が1万枚ほど上である。
因みに「春風の誘惑」の時にデビュー当時から伸ばしていた髪をばっさり切ってしまいます。でも、これは本人が勝手にしたことなんです。
どういうことかと言いますと、髪を伸ばしていたのは事務所の意向で、簡単に言えば「アイドルアイドルしたアイドル」にしたかったんだと思います。
でも本人はそれが嫌で事務所に言ってたんですが受け入れられず、ついに本人が無理やり断行したというわけです。

因みにこれが髪を切る前で…、
写真

この後、髪を切りこんな感じになります。
写真

で、これが功を奏したのか徐々に売れ始めます。
83年に出された5枚目のシングル「まっ赤な女の子」はオリコン最高位8位を記録し、キョンキョンのシングルとしては初めて20万枚を突破しました。これでようやく名が売れたわけです。さらに次の「半分少女」では最高位4位を記録します。

次のシングル「艶姿ナミダ娘」は初のオリコントップ3入りを果たし売り上げも35万枚に迫る大ヒットを記録しました。
もうこのあたりで初期~中期のキョンキョンは出来上がってるように思える一曲でもあります。
因みに80年代に出されたキョンキョンのシングルの中で3番目に売れた曲です。


翌84年の正月には「あんみつ姫」名義で「クライマックス御一緒に」をリリース。これも20万枚ほどのヒットとなります。
で、この年に小泉今日子も名前で出された最初のシングル「渚のはいから人魚」は自身初のオリコンチャート1位を記録します。売り上げも33万枚程まで伸び人気を不動のものにします。
因みにこの曲のB面の「風のマジカル」はこの年のドラえもん映画「のび太の魔界大冒険」の主題歌として起用されています。
次のシングル「迷宮のアンドローラ」も大ヒットし40万枚近くまで売れて80年代に出された曲では最高の売り上げを記録します。
次の「ヤマトナデシコ七変化」も30万枚ほどのヒットをみせ、見事この年の紅白歌合戦に初出場を果たします(歌唱曲は「渚のはいから人魚」)。
その後、1985年末にかけては出される曲がすべて1位になるということを成し遂げます(「The Stardust Memory」、「常夏娘」、「魔女」、「なんてったってアイドル」)。
特に「なんてったってアイドル」では自分でアイドルだと言ってしまうことが非常に話題を呼んだ曲で今でも広く知られています。

そんなキョンキョンの人気にちょっと翳りが見え始めたのは1986年発売のシングル「100%男女交際」辺りからです。この曲は当時のおニャン子人気の煽りを受け最高位2位で終わってしまいます。その上、前シングル「なんてったってアイドル」の売り上げの半分の14万枚ほどしか売れません。
次にリリースされこの年の紅白歌合戦で歌唱された「夜明けのMEW」も例外ではなく最高位は2位で売り上げも16万枚止まりになってしまいます。
次のシングル「木枯しに抱かれて」は今でも定評のある曲の一曲ですが、最高位は3位でした。それでも売り上げはおニャン子が売れ上げを下げていたこともあり28万枚ほどを売り上げ翌87年の年間チャートでは11位に入ります。

ただ、この年と翌年はシングル自体の売り上げが下がっている時期でキョンキョンもその煽りを受ける形となってしまいます。
次のシングル「水のルージュ」は久々に1位を獲得するものの19万枚弱のとどまり、その後も…、
・Smile Again('87,7)→15.3万枚(最高位2位)
・キスを止めないで('87,10)→12.6万枚(最高位1位)
・GOOD MORNING-CALL('88,3)→17.0万枚(最高位2位)
・快盗ルビイ('88,10)→13.4万枚(最高位2位)
・Fade Out('89,5)→10.5万枚(最高位2位)

と枚数的にはそこまで振るいません。
個人的には「Simle Again」はオカリナがこの曲にあっていてかなり好きだし、「快盗ルビイ」に至っては俺は名曲だと思っています。
一度聴いていただければわかると思いますが、いい曲なんですけど時代に合わなかったのでしょうかね?

1989年末に出されたフィンガー5のカバー曲「学園天国」で久しぶり(「The Stardust Memory」以来5年ぶり)に30万枚を超える売り上げをみせ、キョンキョンの健在ぶりを見事に魅せます(最高位3位)。
この辺りからドラマに出演する機会が増えているんですが、この曲もドラマ「愛しあってるかい!」に主題歌でした。

1990年代に入って最初のシングル「見逃してくれよ!」は2年ぶりの1位を獲得し26万枚を売り上げます。
その後2枚(「La La La...」、「丘を越えて」)は最高位が10位に止まり売り上げもデビュー曲よりも低い6,7万枚にまで落ち込んでしまいます。
しかし、これで終わるキョンキョンではなかったのです。

翌91年に出されたシングル「あなたに会えてよかった」で11作目の1位を獲得し、なんと売り上げが100万枚を超えるという快挙を果たしました(105.4万枚)。
この曲は自身の経験を基に書かれた曲で当時のドラマ「パパとなっちゃん」の主題歌だったこともあり、大ヒットに至ったわけです。
因みに82年にデビューした人の中では唯一ミリオンヒットを持つアイドルです。
この年の年間チャートでも6位に入りました(年間トップ10入りは自身初)。

翌年リリースのシングル「自分をみつめて」も20万枚を越えるヒットを記録しました。
その翌年リリースの「優しい雨」はドラマ「愛するということ」の主題歌になったということもあり95万枚を売り上げる大ヒットになりました。

その後も「My Sweet Home」が40万枚を越えるヒットをみせ、次の「月ひとしずく」もトップ10入りを果たすなど人気を10年以上も持続させました。
本当にすごいと思いますよ。
因みに「春風の誘惑」から「月ひとしずく」まで33枚連続トップ10入りを記録しており女性歌手では歴代第4位で女性アイドルに限れば最高記録です。


で、その後99年にリリースしたのを最後に音楽活動をほとんどしなくなり女優業に力を入れだすんですが、昨年久しぶりにアルバムを出し少しずつであるが音楽活動を再開しつつもある。

今後の動向が気になるところである。


では、この辺で・・・。


'09/10/28
PR

カレンダー

05 2025/06 07
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30

リンク

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新記事

最新トラックバック

プロフィール

HN:
kapion
性別:
男性

バーコード

RSS

ブログ内検索

アーカイブ

最古記事

P R

アーカイブ

アクセス解析

カウンター