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倉庫@mixi日記

mixi時代に書いていた日記の倉庫です

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昨日の晩から今日のダイジェスト


さてさて、昨日はサークルのボウリング大会に行って参りました。
普通のボウリングするのはけっこう久しぶりでどうなることかと不安に思いました。

最初のゲームは大体普段のアベレージの77。
このスコア自体には問題ないんですが、レーンごとの合計で最下位だったのでジュースをおごるハメに…。
2回目はチームを変えてして87。
ノリと先輩が頑張ってくださってトップに!!
ジュースをおごってもらいました。

で、3回目のスコアで奇跡が起こりました!!!
写真
自己ベスト更新の142!!
これには俺自身もびっくりです。
第3ゲームのなかでも9人中2番目のスコアでした。
最初のダブルストライクの時にまさかとは思いましたが、やってしまいました。
たぶん、このスコアは二度と出ないでしょうね。
同じチームだったノリとポンポンcと共に全員オーバー100だったので見事トップを取りました。またジュースをおごっていただきました。

それで、精算をして三条京阪から神戸に帰り、家に着いた時にはもう11時45分。
風呂入って、晩御飯食べて、ロケみつを見て(個人的に稲垣早希さんがやっているのは先週から応援していたり…)、寝ました(1時半)。


そして、今日。
朝早く起きて8時半に1限の教室に行くと「休講」の文字が…。
おかげで1時間半以上暇ができ、適当に過ごしました(笑)
こんなまともな休講に遭ったのは初めてです。

で、憲法は友達と学内で1番でかい講義室の天空席で雑談してました。

教育学は今回が1回目の講義ノート提出の範囲のラストでした。
あと1週間で書く残りがあと2講半なのでこの土日で頑張っていきます。


という感じです。

それでは。

'08/11/21
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今日の一日~前半は死ぬ目に遭った~


今日はある意味最悪の日でした。

今朝、最寄の私鉄の駅でいつもの普通車に乗れなかったので特急で須磨まで行ったら、やけに人が多くて、何かと思えばJRの人身事故で振替輸送で須磨に殺到してるわけです。

とりあえず、JRの須磨の改札をくぐって証明書を貰って私鉄の方の須磨駅に戻り、そこでお父さんとばったり…。何とか振替の乗車券をもらい、ホームへ。高速神戸行きの普通車に乗って(特急に乗りたかったんやけど、物凄いことになっていたので断念 orz)新開地へ。新開地の阪急の通勤特急に乗り換え十三まで。大阪市内に向かうお父さんと十三で別れて、京都線の特急に乗り換え烏丸へ。この時点で10時を回っていました。その後、京都市営地下鉄の四条駅に乗り換え京都駅へ。一旦降りて振替の乗車券を渡し、改札の外へ(この時点で10時23分)。ここでJR奈良線に乗ることも考えたが、次の電車が10時35分の上に確実に授業に間に合わない時間に稲荷駅に着くので、切符を買い再び地下鉄京都駅に。10時28分発の新田辺行きの電車に乗り33分に大学の(地下鉄の)最寄り駅に到着。そこから大学まで走り、授業にギリギリ間に合いました。

普段なら余裕綽々で着くんですが、まさかギリギリになるとは…。

フランス語の授業だったんですが、意識が他所に飛んでいました(笑)そりゃ、↑の状況で授業が普通に聞けたら超人だと思います、その人は(笑)

その後の木曜恒例になりつつある卓球の授業。
今日は2週ぶりに個人戦でした。
成績は…、

○○○××○○

と5勝2敗でした。
今日の2つの負けは、先生と元卓球部だったんで基本的には上出来です。
なによりも以前、↓で紹介した人に後期に入って初めて勝てたのが何よりも嬉しかったです。ちなみに彼に勝ったのは7月以来なので5ヶ月ぶりの勝利でした。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=958353120&owner_id=17278759

前期に勝ったり負けたりしていた経済学部の人には後期に入ってからは負けなしで、現在前期から6連勝中です。

その後の「地域社会」の授業は聞いてたか聞いてないかが良くわからない(笑)


というわけで、この後7時半からサークルの人たちとボーリングをしてきます。行かれる方はよろしくお願いします。

カピオン<ボーリング下手くそなのがバレてしまうぅ~(笑)

本当に致命的に下手くそです。まず、1ゲームのスコアが100行けばかなり良い方です平均アベレージが70ないはずなんで。
やば過ぎです。


では、失礼しました。

'08/11/20

家族でのカラオケ

今日は久々に家族でカラオケに行きました。

今回は弟もいるということで、演歌は歌っていません。

セットリストは…、

・青春時代/森田公一とトップギャラン
・サボテンの花/チューリップNEW
・それが大事/大事MANブラザーズBANDNEW
・AMBITIOUS JAPAN!/TOKIO
・季節の中で/松山千春
・ブルー・スカイ/チューリップNEW
・冬が来る前に/紙ふうせん
・悲しみよさよなら/安全地帯
・夢の途中/来生たかお
・「いちご白書」をもう一度/バンバン

という感じです。


また一緒に行く機会があったら行きたいですね。

'08/11/16

アイドルとしての堀ちえみ

968c5267.jpg

こんにちは、カピオンです。

今日は、元アイドルで現在はタレントとしてご活躍されている「堀ちえみ」さんについて今に至る経緯や俺が思っていること・考えることをここに書こうと思います。

まず、堀ちえみさんは、1967年2月に大阪府堺市に生まれて、1981年に第6回ホリプロスカウトキャラバンに出場し、グランプリを取ったをきっかけに芸能界入りします。ちえみさんはこのオーディションを親に内緒で受けていたそうです。大阪の地区予選まではなんとか親を騙せたようでしたが、本選に出場することになり、流石に東京には当時中学生のちえみさん一人ではいけないので両親に話すわけですが、もちろん反対されます。特にお母さんは猛反対だったようです。でも、本選に付き添いで行ったのはお母さんだったのです。
で、本人もまさか自分がグランプリを取ると思ってない訳で、しばらくの間お母さんとの関係は悪いままでした(後に修復するのですが)。

1982年3月、「潮風の少女」でデビューします。
実は同日に小泉今日子さんもデビューを果たしています。
この日から忙しい5年間を送るわけです。
その後、セカンドシングル「真夏の少女」、竹内まりやさん作詞作曲の「待ちぼうけ」をリリースしますが、そんなに売れません。
その中でこの年の11月にリリースされた「とまどいの週末」が初のオリコントップ20入り(最高位14位)、売上10万枚越え(11.4万枚)を果たしました。さらに、この年のレコード大賞の新人賞を始めとする賞レースにも参加することになります。

そして、1983年1月にリリースされた5枚目のシングル「さよならの物語」が初のトップ10入り(最高位8位)を果たし、彼女自身の最大のヒット曲になり、これをきっかけにブレイクし出します。全盛期が始まったのはこの辺りからだと俺はほぼ断定しています。
余談にはなりますが、この「さよならの物語」でハロプロ系のヲタさんならご存知「Buono!」のシングル曲などの作詞でお馴染みの岩里祐穂さんが作詞家デビューを果たします。堀さんのシングル曲でいえば次の「夏色のダイアリー」、その次の「青い夏のエピローグ」は岩里さんによって作詞されています。

そして、その次のシングル「夕暮れ気分」がリリースされた同年10月、彼女の名が全国的に広まることとなるドラマ「スチュワーデス物語」が放送開始されます。多くの人が「『堀ちえみ』と言えば『スチュワーデス物語』」と認識されています。個人的にはなんか寂しいですよね。アイドルやってたのに。でも、このドラマはとても反響を呼び、大人気となり、「教官!」「ドジでのろまな亀」は流行語大賞にも選ばれました。間違いなくこの頃がピークだと思います。そのピークは約1年ちょっと続くんですが。このドラマは翌年4月まで放送され、その間に「白いハンカチーフ」、「稲妻パラダイス」をリリースします。

次のシングル「東京Suger Town」でこの年の紅白歌合戦に初出場を果たします。ちなみに対戦相手は舘ひろしさんだったとか…。
さらにこの年の末に「クレイジーラブ」、85年1月に「リ・ボ・ン」をリリースし、どちらもオリコン最高位2位を記録し15万枚を超えるヒット曲となり、代表曲としても紹介されることがあります。
ただ、この頃からレコードの売り上げが全体的に減少します(年間1位の曲がミリオンしなくなる)。さらにこの年の4月におニャン子クラブが登場し、ちえみさんの人気はこの頃を境に落ちてしまいます。
その証拠に85年4月発売の「Deadend Street GIRL」は前回の「リ・ボ・ン」よりも5万枚弱落ちてしまいます。

次の「Wa・ショイ!」はとても軽快な曲なんですが、逆にファン離れを引き起こす結果となり、この曲を最後にオリコントップ10に入れなくなります。当時、この曲を歌う時はけっこう恥ずかしそうに歌っています。映像にも残っているようです。
この年の9月リリースの「青春の忘れ物」(最高位12位)を聴いてると当時とても苦しんでいたちえみさんが目の前に画となって出てきます。凄く苦しんでいるちえみさんが…。本当にこの頃は苦しんでいたらしいです。
翌年1月リリースの「夢千秒」(最高位12位)も苦しんでるように聴こえる曲であります。この年にちえみさんはこのようなお願いしたようです。

ちえみさん<歌手活動だけに専念して、映画とかグラビアとかは休憩したいです。

もちろん事務所はそれだけで食っていくのは難しいのは知っているので…、

事務所<一緒にやらないとやって行けなくなる。

といったそうです。

そして、しばらくちえみさんは悩まされる日々が続きます。
次のシングル「ジャックナイフの夏」(最高位12位)、その次の「夏咲き娘」(最高位14位)、「素敵な休日」(最高位?位)はやはり売れません。特に3番目の「素敵な休日」は1万枚台にとどまってしまいます。
この3曲を聴いてて思うのは、から元気的な感じで歌っていることです。なんか無情感を感じ取れるんですよね。少なくとも心の中では笑顔ではなかったでしょうね。
さらに追い討ちをかけるのは「夏咲き娘」の頃に出た「作曲家の後藤次利さんとの熱愛」疑惑です。これでちえみさんの評判は一気に落ちたと思われます。

そしてついに身を引く時がやってきます。
当時はとても驚かれたそうですね、この記事に。

『堀ちえみ、電撃引退!!』

なぜ、アイドル絶頂期に引退するのかというのが当時はよく言われたそうです。でも、こう見ていけば、全盛期ほどの人気なんてなかったしちえみさんは精神的にボロボロだったことを見るとなんとなく分かる気はしますね。
ラストシングルは当時おニャン子の仕掛け人として評を博した秋元康さん作詞、先日逮捕された小室哲也さん作曲の「愛を今信じていたい」です。
これを聴くとやっぱりせつなくなりますね。自分はこの2年後に生まれていることにご注意を(笑)
たぶん、当時のテレビ最終出演は、いまや日本を代表する音楽番組に成長した「ミュージック・ステーション」だったと思います。その時も泣きながら歌っていました。
歌い終わった後、真っ先に大阪に帰って行ったそうです。

この時、「アイドル 堀ちえみ」は終止符を打ったわけです。

その後1989年に結婚をし3人の息子を産み、1996年芸能界に復帰します。
しかし、99年に協議離婚が成立し3人の息子はちえみさんが引き取ります。
その翌年、加藤芳樹さんと結婚その年に四男が生まれます。その2年後長女が生まれ、5人のお母さんとなり、それで有名ですね、現在は。
近年は歌手活動も再開されているようで、2001年の川島英五・あみる父子のよるインディーズ作品「ピンクのアオザイの裾を夜風にあそばせ」をリリース。この頃から「懐かしのアイドル」として出演するようになります。さらに2005年には18年ぶりとなる単独ライブ「青春の忘れ物」を行います。その直後、同期の松本伊代さん、早見優さんと共に「キューティー・マミー」を結成。現在はこのユニットでの活動はお休み中である。
現在は関西の番組を中心に時折全国区の番組にも出演中である。
ブログもやっておれられるそうで、私生活を垣間見ることができます。このブログには四男と長女がよく出てきます。このブログにコメントはできないのでご注意願います。
それと、来年上映の映画「色即ぜねれいしょん」で23年ぶりに銀幕復帰されますので気になる方は要チェックです。




好き勝手書きましたが、今のちえみさんも、昔のちえみさんも好きであることには全くの変わりはないです。

それでは、今回は堀ちえみさんについて語らせて頂きました。
失礼いたします。
 

'08/11/12

曲について語る その28~5位の曲~


こんにちは。カピオンです。
最近は講義ノートの執筆とかで忙しい毎日を過ごしています。

今日は約3週間半ぶりに曲について語りたいと思います。

本日は5位の曲です。


それは…、こちら!!
写真

トップ10では2度目(通算では最多の3度目)の登場の原田知世さんが歌う「天国にいちばん近い島」です。

彼女の経緯的なことは7位のところで書いたのでそちらを参照下さい。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=957182612&owner_id=17278759

売れた後の話をもう少し突っ込んでしたいと思います。
前回は確か、「時をかける少女」で大ブレイクしてアカデミー新人賞を受賞したところまでお話したのでその続きから…。
ブレイクを果たした直後、ミュージカル「あしながおじさん」で主演を務めます。その主題歌だった「ダンデライオン~遅咲きのタンポポ~」は彼女が歌っています(あまり知られてない事実ですが)。
その後、1984年に映画「愛情物語」がヒットし主題歌も30万枚を超えるヒットになりました。

その次に封切られたのが「天国にいちばん近い島」です。
写真
この作品は1966年に初版が発売された森村桂さんの同名の旅行記を元に大林監督が作ったものです。↑の本は映画化された1984年当時に発売された版で、古本屋で手に入れました。

原作と映画では少し違うところもありますが、そんなに違和感はなく観れます。実際にDVDを借りてきて鑑賞したんですが、本当に感動しますよ、これは。映画嫌いの俺がホロッとしちゃうんですから。所謂「名作」の域に入る映画です。是非観ることをお薦めします!

同名の曲の事については後に回すとして、翌年には「早春物語」もヒットしこの主題歌である「早春物語」で第36回NHK紅白歌合戦に初出場します。
87年に実姉で女優の原田貴和子さんと共に事務所から独立をし、「ショーンハラダ」を設立します。
その後の作品として「私をスキーに連れてって」などがあります。

現在でも女優業、歌手業を続け、近年はナレーションとしても活躍中である。


さて、前振りが長くなりましたが(笑)、ここからは曲の「天国にいちばん近い島」について…。
この曲がリリースされたのは1984年の10月に発売され映画のヒットと共に売れ、年を越しても売れ続け、30万枚近く売り上げました。
ちなみに、原田さんの楽曲でオリコンチャート1位を獲得したのはこの曲だけです。けっこう意外です。

曲としては、メロディーがもう満点です!!!
アイドルの曲としてはほぼ完成形だと思います。
こういう曲をしっかりと歌える知世さんは素晴らしいという賛辞を送るばかりです。
この曲の詞を書いたのは、中森明菜さんの「北ウイング」などでお馴染みの康珍化さんです。
この詞というのは、基本的に恋の物語なんですが、映画のタイトル通り異国での日本人の恋愛を描いていることがわかります。それが自然と入っていることがすごいと思いますね。
あと、知世さんの声は「時をかける少女」同様申し分ないし。

この曲はアイドル曲ではおそらく1番名曲だと思います。



ということで、次回は4位の曲について語るのでお楽しみに~!
 

'08/11/11

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