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倉庫@mixi日記

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アイドルとしての堀ちえみ

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こんにちは、カピオンです。

今日は、元アイドルで現在はタレントとしてご活躍されている「堀ちえみ」さんについて今に至る経緯や俺が思っていること・考えることをここに書こうと思います。

まず、堀ちえみさんは、1967年2月に大阪府堺市に生まれて、1981年に第6回ホリプロスカウトキャラバンに出場し、グランプリを取ったをきっかけに芸能界入りします。ちえみさんはこのオーディションを親に内緒で受けていたそうです。大阪の地区予選まではなんとか親を騙せたようでしたが、本選に出場することになり、流石に東京には当時中学生のちえみさん一人ではいけないので両親に話すわけですが、もちろん反対されます。特にお母さんは猛反対だったようです。でも、本選に付き添いで行ったのはお母さんだったのです。
で、本人もまさか自分がグランプリを取ると思ってない訳で、しばらくの間お母さんとの関係は悪いままでした(後に修復するのですが)。

1982年3月、「潮風の少女」でデビューします。
実は同日に小泉今日子さんもデビューを果たしています。
この日から忙しい5年間を送るわけです。
その後、セカンドシングル「真夏の少女」、竹内まりやさん作詞作曲の「待ちぼうけ」をリリースしますが、そんなに売れません。
その中でこの年の11月にリリースされた「とまどいの週末」が初のオリコントップ20入り(最高位14位)、売上10万枚越え(11.4万枚)を果たしました。さらに、この年のレコード大賞の新人賞を始めとする賞レースにも参加することになります。

そして、1983年1月にリリースされた5枚目のシングル「さよならの物語」が初のトップ10入り(最高位8位)を果たし、彼女自身の最大のヒット曲になり、これをきっかけにブレイクし出します。全盛期が始まったのはこの辺りからだと俺はほぼ断定しています。
余談にはなりますが、この「さよならの物語」でハロプロ系のヲタさんならご存知「Buono!」のシングル曲などの作詞でお馴染みの岩里祐穂さんが作詞家デビューを果たします。堀さんのシングル曲でいえば次の「夏色のダイアリー」、その次の「青い夏のエピローグ」は岩里さんによって作詞されています。

そして、その次のシングル「夕暮れ気分」がリリースされた同年10月、彼女の名が全国的に広まることとなるドラマ「スチュワーデス物語」が放送開始されます。多くの人が「『堀ちえみ』と言えば『スチュワーデス物語』」と認識されています。個人的にはなんか寂しいですよね。アイドルやってたのに。でも、このドラマはとても反響を呼び、大人気となり、「教官!」「ドジでのろまな亀」は流行語大賞にも選ばれました。間違いなくこの頃がピークだと思います。そのピークは約1年ちょっと続くんですが。このドラマは翌年4月まで放送され、その間に「白いハンカチーフ」、「稲妻パラダイス」をリリースします。

次のシングル「東京Suger Town」でこの年の紅白歌合戦に初出場を果たします。ちなみに対戦相手は舘ひろしさんだったとか…。
さらにこの年の末に「クレイジーラブ」、85年1月に「リ・ボ・ン」をリリースし、どちらもオリコン最高位2位を記録し15万枚を超えるヒット曲となり、代表曲としても紹介されることがあります。
ただ、この頃からレコードの売り上げが全体的に減少します(年間1位の曲がミリオンしなくなる)。さらにこの年の4月におニャン子クラブが登場し、ちえみさんの人気はこの頃を境に落ちてしまいます。
その証拠に85年4月発売の「Deadend Street GIRL」は前回の「リ・ボ・ン」よりも5万枚弱落ちてしまいます。

次の「Wa・ショイ!」はとても軽快な曲なんですが、逆にファン離れを引き起こす結果となり、この曲を最後にオリコントップ10に入れなくなります。当時、この曲を歌う時はけっこう恥ずかしそうに歌っています。映像にも残っているようです。
この年の9月リリースの「青春の忘れ物」(最高位12位)を聴いてると当時とても苦しんでいたちえみさんが目の前に画となって出てきます。凄く苦しんでいるちえみさんが…。本当にこの頃は苦しんでいたらしいです。
翌年1月リリースの「夢千秒」(最高位12位)も苦しんでるように聴こえる曲であります。この年にちえみさんはこのようなお願いしたようです。

ちえみさん<歌手活動だけに専念して、映画とかグラビアとかは休憩したいです。

もちろん事務所はそれだけで食っていくのは難しいのは知っているので…、

事務所<一緒にやらないとやって行けなくなる。

といったそうです。

そして、しばらくちえみさんは悩まされる日々が続きます。
次のシングル「ジャックナイフの夏」(最高位12位)、その次の「夏咲き娘」(最高位14位)、「素敵な休日」(最高位?位)はやはり売れません。特に3番目の「素敵な休日」は1万枚台にとどまってしまいます。
この3曲を聴いてて思うのは、から元気的な感じで歌っていることです。なんか無情感を感じ取れるんですよね。少なくとも心の中では笑顔ではなかったでしょうね。
さらに追い討ちをかけるのは「夏咲き娘」の頃に出た「作曲家の後藤次利さんとの熱愛」疑惑です。これでちえみさんの評判は一気に落ちたと思われます。

そしてついに身を引く時がやってきます。
当時はとても驚かれたそうですね、この記事に。

『堀ちえみ、電撃引退!!』

なぜ、アイドル絶頂期に引退するのかというのが当時はよく言われたそうです。でも、こう見ていけば、全盛期ほどの人気なんてなかったしちえみさんは精神的にボロボロだったことを見るとなんとなく分かる気はしますね。
ラストシングルは当時おニャン子の仕掛け人として評を博した秋元康さん作詞、先日逮捕された小室哲也さん作曲の「愛を今信じていたい」です。
これを聴くとやっぱりせつなくなりますね。自分はこの2年後に生まれていることにご注意を(笑)
たぶん、当時のテレビ最終出演は、いまや日本を代表する音楽番組に成長した「ミュージック・ステーション」だったと思います。その時も泣きながら歌っていました。
歌い終わった後、真っ先に大阪に帰って行ったそうです。

この時、「アイドル 堀ちえみ」は終止符を打ったわけです。

その後1989年に結婚をし3人の息子を産み、1996年芸能界に復帰します。
しかし、99年に協議離婚が成立し3人の息子はちえみさんが引き取ります。
その翌年、加藤芳樹さんと結婚その年に四男が生まれます。その2年後長女が生まれ、5人のお母さんとなり、それで有名ですね、現在は。
近年は歌手活動も再開されているようで、2001年の川島英五・あみる父子のよるインディーズ作品「ピンクのアオザイの裾を夜風にあそばせ」をリリース。この頃から「懐かしのアイドル」として出演するようになります。さらに2005年には18年ぶりとなる単独ライブ「青春の忘れ物」を行います。その直後、同期の松本伊代さん、早見優さんと共に「キューティー・マミー」を結成。現在はこのユニットでの活動はお休み中である。
現在は関西の番組を中心に時折全国区の番組にも出演中である。
ブログもやっておれられるそうで、私生活を垣間見ることができます。このブログには四男と長女がよく出てきます。このブログにコメントはできないのでご注意願います。
それと、来年上映の映画「色即ぜねれいしょん」で23年ぶりに銀幕復帰されますので気になる方は要チェックです。




好き勝手書きましたが、今のちえみさんも、昔のちえみさんも好きであることには全くの変わりはないです。

それでは、今回は堀ちえみさんについて語らせて頂きました。
失礼いたします。
 

'08/11/12
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